私のブルガリア体験:ブルガリアに行かれた方の体験談や最近のブルガリアの様子などをご紹介します。

■   連載中   中村 靖 氏 : 我が音楽人生 ⑥  (神静民報)

            ⑥   「いよいよヨーロッパデビュー

 前回は僕の人生の中での重要な出来事であるジュリエッタ・シミオナート先生との出会いを書いたが、書きながら
その時の彼女との会話やアテネの青い空、草原に咲く真紅のケシの花などを昨日のことのように思い出して、深い
感慨に耽ってしまった。それは、あれから既に四十年の歳月が過ぎて、自分の人生もいよいよ最終段階に入ったんだ
という一抹の寂しさや、いやいや、まだまだあの頃と変わらないぞと意気込みを感じたり、この先、声が出なく
なったらどうするなどの不安などが重なって、そんな気持ちになっているんだろう。
「おい、ヤスシ!何を弱気になってるんだ」と、今までの師匠方に喝を入れられそうなので、気を取り直して
書きましょう。
 いよいよ、ブルガリア国立プロヴディフ歌劇場でのデビューが決まった。演目はヴェルディ作曲オペラ「ドン・
カルロ」。その中の主役級のポーザ侯爵ロドリーゴ。これも全てピンカス先生の取り計らい。ただし、あの頃の、
多分今もだが、「ブルガリアの仕事」とか「ブルガリア時間」とか言って、日本のそれと比べるとノンビリだ。
自分の出演する演目は決まっても出演日はなかなか決まらない。
それまでに演技をつけておこうということで、ソフィアの歌劇場で演出家との一対一の稽古も組まれて、恐る恐る
ソフィアの歌劇場の稽古場に妻と二人で行った。
演出家のニコライ・ニコロフ氏がニコニコと迎えてくれたが、ロドリーゴ登場のデュエットで上手奥からの登場。
僕は何かを決心したような気持ちで舞台中央に進み出た。相手のドン・カルロは演出家がやってくれている。僕が
歩き出した途端に。
「ダメダメ!それじゃ東洋人の歩き方だよ」
「ごめんなさい」と、元に戻り気を取り直して再び歩き出した。すると、また
「おいおい、ヨーロッパ人なんだよロドリーゴは。それじゃ東洋人だよ。やり直し!」
「はい、ごめんなさい」
「ごめんなさいという必要はないから、どんどんやって!」
「はい、ごめんなさい」
「だから謝らないでいい!」そんなこんなで、その日は一時間以上も歩き方の練習で稽古は終わった。演出家から
何事も無かったように次回の予定を告げられ稽古場を後にした。帰りがてらに妻と二人言葉もなくバスに乗り、
学生寮に戻った。
次の日、音楽院のピンカス先生のレッスンに行くと、「来週の土曜日に決まったよ」と言われ、「えっ、そんなに
間がないの!」なんたることだ。そして翌日、いよいよ二回目の稽古。この日も初日の稽古とほぼ同じ。歩き方の
注意。そして三回目。この日も歩き方の注意とデュエットをやった。これで稽古は終わり。たった三回の稽古。
それも歩き方ばかりで、三回目にデュエットだけようやくできた。
帰り際に演出家が「プロヴディフ歌劇場に行けば、僕の弟子が教えてくれる。大丈夫だ。何の心配もない」と笑顔で
言った。おいおい、これは心配だ。だって何の演技も付いていないんだから。「お前は心配無いだろうけど、
歌うのは俺だよ。俺なんだよ‼︎」と、言えるわけも無く、お愛想の笑顔でソフィア歌劇場を後にした。
不安。不安。不安。プロヴディフという町はソフィアが首都になる前の首都だった所。町の至る所にローマ時代の
遺跡が見られ、丘の上のプロヴディフ音楽院の横にはローマ時代の野外劇場がある。現在は音楽祭をやっている
ようだ。僕は今でもこの街には行ってみたいと思う。
さて、一人での旅立ちの日がきた。貧乏な僕たちは、二人での電車代や宿泊代は払えない。今もあまりあの頃と
変わらない貧乏生活だが(笑)あの頃は今より引っ込み思案で、人前に出るのも苦手、知らない人がいたらレス
トランにも入れないウブな僕だった。
そんな僕の一人旅。一週間の愛妻との別々の暮らし。不安ばかりが先行していたが、プロヴディフに着いたら
ホテルは「トゥリモンティウム」という第一級のホテル。広い広場に面していて、そこにはローマ時代の遺跡も
窓から見えている。部屋に入ると、古いが格式のあるホテルの部屋、学生寮では湯船の無い生活だったから大きな
湯船にまずお湯を溜めて風呂に
ゆっくりと浸かった。風呂を出て、「さて、いよいよ戦いはこれからだ」と声に出して自分に気合いを入れた。
歩いて七〜八分の所にあるプロヴディフ歌劇場に向かった。
「ドーバル デン(こんにちは)」と空元気を出し、楽屋口を通った。


ヴェルディ作曲オペラ
「ドン・カルロ」。

ドン・カルロ(スペイン王子)と愛し合っているエリザベッタがカルロの父親と結婚することになり、父スペイン王
フィリッポ2世の苦悩、カルロと固い友情で結ばれながら父王から厚く信頼されるロドリーゴなどに新教徒弾圧の
宗教問題が絡む壮大なストーリー。

   


 * ブルガリア国立音楽院を終了され帰国後は藤原歌劇団、日本オペラ協会、新国立劇場を中心に活躍された
中村靖氏のブルガリアでの生活を寄稿された記事が、静岡県西部の地域新聞「神静民報(しんせいみんぽう)」に
掲載中です。


中村靖氏「我が音楽人生」シリーズ (「神静民報」に連載された記事を再録しています。)
①「昭和音楽短期大学からブルガリア国立音楽院へ」
②「ブルガリア国立音楽院に入って」
③「ブルガリアでの生活が始まった」
④ 「ブルガリアという国」
⑤「ギリシャでの出会い」
⑥「いよいよヨーロッパデビュー」
⑦「いざ出陣!」
第8回 は2023年7月15日版に掲載されます。
            
中村靖 (なかむらやすし) 昭和31年、神奈川県生まれ。バリトン歌手。
昭和音楽短期大学声楽科卒業後、ブルガリア国立ソフィア音楽院修了。帰国後は藤原歌劇団、
日本オペラ協会、新国立劇場を中心に活躍。昭和音楽大学講師、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部講師、
日本演奏家連盟会員、日露音楽家協会会員、日本ブリテン協会理事。箱根町在住。
喜仙荘代表取締役