私のブルガリア体験:ブルガリアに行かれた方の体験談や最近のブルガリアの様子などをご紹介します。

■   連載中   中村 靖 氏 : 我が音楽人生 ⑦  (神静民報)

            ⑦   「いざ出陣!

 空元気を出して楽屋口を通ると、オーケストラの全員がスタンバイしている部屋に入る。これはもうドキドキだ。
知らない人ばかり。この時、僕は二十八歳。
この頃の世界情勢を少し書かせてもらうと、世界は、資本主義と社会主義の二つの勢力圏に分かれて、ブルガリアは
ソ連を頂点とする社会主義陣営。特にソ連とは仲が良かった。しかし、その社会主義陣営の中で、ソ連と中国は
対立をしていた時期なのでブルガリアはソ連の顔色を窺って、中国との交流は全くなかった。
したがって、一般的にヨーロッパ人が東洋人に対して「中国人だ」という偏見はここでは当てはまらなく、社会主義
陣営の中での友好国であるモンゴルやベトナムの人に見られることがほとんどで、体の大きい東洋人はモンゴル人、
小さい方はベトナム人と思っていたようで、僕は体が大きかったのでいつもモンゴル人に見られていた。
そんな中で、稽古場に入ってゆくといつもの東洋人を見る目つきで見られたが、演出家が「ポーザ侯爵役の
ナカムラヤスシ、日本人」と紹介した途端に、一斉に奇異な視線を向けられた。そりゃそうだよね。日本が経済大国で
先進国ということは薄々わかっている。そんな日本人が何故、自分たちの国に来たのか?それもそのはず、首都の
ソフィアならまだしも、かつての首都であり、ブルガリアでも最古級の六千年の歴史を刻むここプロヴディフと
言えども、今は大きな地方都市に過ぎない。
まあ、そんな雰囲気の中で、「指揮者、ドラゴミール・ネノフ」を筆頭に、エリザベッタ、エーボリ公女、ドン・
カルロ、フィリッポ二世と紹介された。すると、指揮者のネノフ氏が僕のことを手短に紹介をしてくれた。
さて、ネノフ氏が指揮棒を動かすとオーケストラが荘厳な響きを奏でた。その音を聞いた途端に、心音はドキドキ
ドキドキと最高潮に達し、体が小刻みに震え、顔面がカッと熱くなった。このネノフという指揮者はローマで
勉強した人でイタリア語もよくわかっていた。実はこの一年前くらいに、ソフィア音楽院大ホールで「オペラアリア」
だけのコンサートがあり彼の指揮でアンドレア・シェニエとドン・カルロのアリアを歌ったことがあり、すでに
顔見知りだった。
だから安心かというと、オーケストラの面々は知らない人、あーあ、どうなることやらと思いながら歌い進めて
いくと、意外にスイスイと進み、終わった。やはりオーケストラで歌うのは気持ちが良いし、楽だ。ホテルに戻り
部屋に入るなりベッドに横になった。少しうとうととしたのだろう。
目が覚めると一八時を少し過ぎていた。いけない!食事に行かなければと、慌てて一階のレストランに行くと、
すでにお客は半分くらい入っていた。「あっ、もうだめだ」残念ながら入れない。知らない人がいたら、レストランに
は入れない。ダメな僕だった。その夜は少し残っていたビスケットをニ〜三枚食べて、たっぷりと水を飲み腹を膨ら
ませた。
よーし、明日の朝は早く行くぞとばかりに早起きをして七時にレストランに行くと、開店直後で誰もいなかった。
僕は胸を張って、言葉のできないことなど気にしないで気取って入って行った。
とても親切なブルガリア人ウェイターが色々なものを勧めてくれて、昨夜の分まで食べた。
オーケストラ合わせば昨日で終わり。今日は立ち稽古。ソフィアではデュエットの歩き方しかやってない。今日は
昨日よりも不安だった。ブルガリア人の他のキャストは、トルコ公演が終わった直後で、全て動きはできている。
したがって僕の登場する場面だけを集中的に稽古した。おまけにプロヴディフ歌劇場の歌手たちは海外公演直後だから
原語のイタリア語で歌うので、これについては安心。この頃のヨーロッパの地方の歌劇場は原語で歌うより自国の
言葉に訳して歌うのが一般的で、我が日本においては藤原歌劇場総監督の故・五十嵐喜芳氏が字幕のシステムを作る
までは日本語で歌っていた。
そして、この次にブルガリア文化省からのお誘いで再びここに歌いに来た時は、僕だけがイタリア語、あとの
キャストはブルガリア語という面白い公演だった。
数日が過ぎて、全ての動きは分かった。相変わらずレストランに人がいたら水で空腹を紛らわせる毎日はかわりが
なかったが、そんな日々を送っている間についに公演日を迎えた。
衣装はソフィアの劇場から特別にブルガリアのトップバリトンのサビン・マルコフ氏の衣装を持って行き、マントが
付いて提灯ブルマみたいな半ズボン白のタイツ、腰に長いサーベルを差して、これはなかなか良い。良いぞバリトン
ナカムラヤスシ!と掛け声がかかりそうなカッコ良さ。メイクをしてもらい、衣装を着せてもらいしていると、
舞台から聞こえてきた!金管楽器の荘厳な響き、「始まった!」。僕は自分の出る下手奥にスタンバイした。
テノールとソプラノのデュエットが聞こえ、だんだんと実感が湧いてきた。気分は最高潮に達し、心拍もドキドキと
最高潮。演出助手の合図で、舞台に出て行った。
舞台だけがやけに明るく、客席はやけに暗く何も見えない。舞台中央に立ちすくむドン・カルロに向かって「E lui
desso linfante!」と歌った。さてここから二時間半。どうなったかは次回のお楽しみ。乞うご期待‼︎


「プロヴディフ」は首都ソフィアに次ぐ第二の都市。ヨーロッパ最古の都市の一つ。ローマ野外劇場
など遺跡が多く残っている。

 

         

          宿泊した ラマダプロディウム トリモンティウムホテル



 * ブルガリア国立音楽院を終了され帰国後は藤原歌劇団、日本オペラ協会、新国立劇場を中心に活躍された
中村靖氏のブルガリアでの生活を寄稿された記事が、静岡県西部の地域新聞「神静民報(しんせいみんぽう)」に
掲載中です。


中村靖氏「我が音楽人生」シリーズ (「神静民報」に連載された記事を再録しています。)
①「昭和音楽短期大学からブルガリア国立音楽院へ」
②「ブルガリア国立音楽院に入って」
③「ブルガリアでの生活が始まった」
④ 「ブルガリアという国」
⑤「ギリシャでの出会い」
⑥「いよいよヨーロッパデビュー」
⑦「いざ出陣!」
第8回 は2023年7月15日版に掲載されます。
            
中村靖 (なかむらやすし) 昭和31年、神奈川県生まれ。バリトン歌手。
昭和音楽短期大学声楽科卒業後、ブルガリア国立ソフィア音楽院修了。帰国後は藤原歌劇団、
日本オペラ協会、新国立劇場を中心に活躍。昭和音楽大学講師、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部講師、
日本演奏家連盟会員、日露音楽家協会会員、日本ブリテン協会理事。箱根町在住。
喜仙荘代表取締役